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弥生時代の一問一答プリント|中学受験の歴史(無料・印刷用)
弥生時代の一問一答を41問のせています。問題用紙は2枚で、1枚あたり20問から21問です。解答は別の用紙にまとめてあるので、刷って解いたあとに丸つけできます。登録は要りません。
使い方
- 印刷する範囲を選びます。1枚がA4に収まるように問題数を調整してあります
- 「印刷する」を押します。問題用紙が先に、解答用紙があとに出ます
- 解答を家庭で持っておきたい場合は、解答も印刷するにチェックを入れたまま刷ってください
- 覚えられなかった問題は番号を控えて、次の回で同じ番号だけをやり直します
印刷は白黒でかまいません。解答は問題のあとにまとめて出ます。枚を選ぶと、その枚の解答が載っている解答用紙も一緒に出ます。
弥生時代の一問一答 1枚目/全2枚
問1から問21まで 全21問
中学受験 個別指導
名前 __________ 点数 ___/21
- 1縄文時代の終わりに大陸から九州北部へ伝わり、弥生時代に全国へ広まって人々のくらしを大きく変えた、水田をつくって米を育てる農業をという。
- 2稲作は今から2400年ほど前、中国大陸や朝鮮半島から海をわたって伝わった。日本で最初に稲作が伝わったと考えられている地方はどこか。
- 3弥生時代に、実った稲の穂だけを一つずつつみ取る「穂首刈り」のために使われた石器を何というか。
- 4弥生時代に、収穫した稲をねずみや湿気(しっけ)から守るため、床を地面より高くしてつくられた倉庫を何というか。
- 5弥生時代に使われた、高い温度で焼かれたためうす手でじょうぶな、赤褐色(赤茶色)の土器を何というか。
- 6弥生時代に主に豊作をいのる祭りの道具として使われた、つりがね形の青銅器(銅とすずをまぜた金属でつくった道具)をという。
- 7弥生時代に大陸から伝わった青銅器は、おもに祭りの宝物として使われた。そのうち、円形で裏面に文様がほどこされたものを何というか。
- 8静岡県にある、弥生時代の水田の跡や、田げた・くわなどたくさんの木製農具が発見され、当時の米づくりのようすがわかった遺跡を何というか。
- 9佐賀県にある、敵の攻撃にそなえて濠(ほり)や柵(さく)で集落の周りを囲んだ、弥生時代の大規模な環濠集落の遺跡を何というか。
- 10米づくりが広まると、土地や水をめぐってむらどうしの争いが起きた。弥生時代に、周りを濠(ほり)と柵(さく)で囲んで争いに備えた集落を何というか。
- 11『後漢書東夷伝』(中国の古い歴史書)によると、57年に倭(昔の日本の呼び名)の奴国の王は中国の皇帝から金印を授かったとされる。この「漢委奴国王」と刻まれた金印が江戸時代に出土した、福岡県の場所はどこか。
- 12福岡県の志賀島で、「漢委奴国王」と刻まれた金印が発見された。57年にこの金印を後漢の皇帝から授かったとされる、倭(当時の日本のよび名)の国はどこか。
- 13『魏志倭人伝』(中国の古い歴史書)に記された、3世紀ごろ女王卑弥呼(ひみこ)がまじないの力で30ほどの国々をまとめて治めていたとされる国を何というか。
- 14中国が3つの国に分かれて争っていたころ、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)は239年に使いを送り、皇帝から金印を授けられたとされる。この中国の王朝をという。
- 15『魏志倭人伝』(中国の古い歴史書)によると、239年に魏(当時の中国の王朝の一つ)に使いを送り、「親魏倭王」の称号と金印を授けられたとされる邪馬台国の女王はだれか。
- 16弥生時代に、稲作の広まりとともに争いが起こり、有力なむらが周りのむらを従えてできた、より大きなまとまりを何というか。
- 17弥生時代ごろ、倭(日本)が100あまりの小さなくにに分かれていたことを記した中国の歴史書を何というか。
- 1857年に後漢(当時の中国の王朝)に使者を送り、皇帝から金印を与えられた、今の福岡市のあたりにあったとされる九州北部の国をという。
- 1957年に奴国の王が使者を送り、皇帝の光武帝(こうぶてい)から金印を与えられたとされる中国の王朝を何というか。
- 2057年、後漢(当時の中国の王朝)の光武(こうぶ)帝が、はるばる海をわたってきた倭(昔の日本の呼び名)の奴国の使者に与えたものは何か。
- 2157年、倭の奴国の使者に「漢委奴国王」の金印を与えたとされる、後漢(当時の中国の王朝)の皇帝はだれか。
弥生時代の一問一答 2枚目/全2枚
問22から問41まで 全20問
中学受験 個別指導
名前 __________ 点数 ___/20
- 22江戸時代に農民が偶然、「漢委奴国王」と刻まれた金印を発見した、九州北部の福岡県にある島はどこか。
- 23江戸時代に福岡県の志賀島(しかのしま)で農民によって発見された、中国の皇帝から与えられたと考えられている金印に刻(きざ)まれていた文字は何か。
- 24女王卑弥呼(ひみこ)が、まじないの力を使って30ほどのくにを従え、邪馬台国を治めていたと中国の歴史書に記されているのは何世紀ごろか。
- 25239年に魏(当時の中国にあった国)に使者を送り、皇帝から金印を授かったとされる、まじないの力で邪馬台国を治めた女王はだれか。
- 26当時の中国は3つの国に分かれて争っていた。卑弥呼(ひみこ)が239年に使者を送ったとされる、そのうちの1つの国を何というか。
- 2757年に奴国の王が金印を授かったことなど、1世紀ごろの倭(当時の日本)のようすが記されている中国の歴史書をという。
- 28女王卑弥呼(ひみこ)のまつりごとのようすなど、3世紀ごろの邪馬台国のことがくわしく記されている中国の歴史書を何というか。
- 29弥生時代に大陸から伝わった、銅とすずをまぜあわせた金属でつくられ、銅鐸や銅鏡などおもに祭りの宝物として使われた道具をまとめて何というか。
- 30弥生時代に青銅器とともに大陸から伝わり、おもに武器や工具など実際の作業に使う道具として使われた金属器を何というか。
- 31祭りの宝物として使われた青銅器のうち、島根県の荒神谷遺跡で358本もまとめて出土したことで知られる、剣の形をしたものを何というか。
- 32弥生時代の米づくりで、ぬかるんだ水田の中で足がしずみこまないように、足につけて使った木製の道具を何というか。
- 33高床倉庫の柱には、ねずみが登って中の米を食べるのを防ぐための板が取り付けられていた。この工夫をという。
- 34佐賀県唐津市にある、縄文時代の終わりごろの日本で最も古い時期の水田の跡が見つかり、稲作の始まりを知る手がかりとなった遺跡を何というか。
- 35弥生土器という名前は、この土器が最初に発見された東京都の地名にちなんでつけられた。その地名はどこか。
- 36239年に魏(当時の中国の王朝)へ使いを送った邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が、魏の皇帝から金印とともに授けられたとされる称号を何というか。
- 37239年、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)は魏(当時の中国の王朝)に使いを送り、金印や称号のほかに、ある品物を100枚授けられたとされる。その品物は何か。
- 38米づくりが広まると、たくわえた米の量や土地の広さのちがいから、むらの人々の間にが生まれ、指導者(有力者)があらわれるようになった。
- 39吉野ヶ里遺跡などの環濠集落(まわりをほりやさくで囲んだムラ)につくられた、敵が攻めてこないかを見張るための高い建物を何というか。
- 40紀元前後の日本が100あまりの小さなくにに分かれていたと記す『漢書地理志』などの中国の古い歴史書では、当時の日本は何と呼ばれていたか。
- 41稲作や金属器は、中国大陸からを通って九州北部に伝わったと考えられている。
【解答】弥生時代の一問一答
問1から問41まで 全41問
中学受験 個別指導
- 1稲作
- 2九州地方
- 3石包丁
- 4高床倉庫
- 5弥生土器
- 6銅鐸
- 7銅鏡
- 8登呂遺跡
- 9吉野ヶ里遺跡
- 10環濠集落
- 11志賀島
- 12奴国
- 13邪馬台国
- 14魏
- 15卑弥呼(ひみこ)
- 16くに(小国家)
- 17漢書地理志
- 18奴国
- 19後漢
- 20金印
- 21光武帝(こうぶてい)
- 22志賀島
- 23漢委奴国王
- 243世紀
- 25卑弥呼(ひみこ)
- 26魏
- 27後漢書東夷伝
- 28魏志倭人伝
- 29青銅器
- 30鉄器
- 31銅剣
- 32田げた
- 33ねずみ返し
- 34菜畑遺跡
- 35弥生町
- 36親魏倭王
- 37銅鏡
- 38貧富や身分の差
- 39物見やぐら
- 40倭
- 41朝鮮半島
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