小野妹子の遣隋使(607年)の語呂合わせ・覚え方
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607年
小野妹子を遣隋使として送る
無礼(60)な(7)妹子は遣隋使。
時代: 飛鳥時代
小野妹子の遣隋使ってなに?
- 聖徳太子が、小野妹子を中国の隋という国に使いとして送ったできごと
- 太子は、中国の進んだ政治のしくみや文化を学ぼうとした
- 607年、太子は小野妹子を遣隋使(けんずいし)として隋に送った
- 妹子が持っていった国書(国の手紙)は「日出づる処の天子」で始まっていた
- 中国に従うのではなく、対等(同じ立場)なつきあいを求める内容だった
- 隋の皇帝煬帝(ようだい)は怒ったと伝わるが、それでも日本に使いを送った
入試でねらわれるポイント
- 607年に隋へ送られた遣隋使は小野妹子である。630年の遣唐使と区別する。
- 国書の「日出づる処の天子」は、対等な関係を求めた表現として問われる。
- 国書を受け取った隋の皇帝は煬帝である。同じ607年に法隆寺が建てられたとされる。
関連キーワード
| 用語 | ひとことメモ |
|---|---|
| 小野妹子 | 遣隋使として隋に派遣された人物 |
| 隋 | 当時の中国の王朝。聖徳太子が国交を結ぼうとした |
| 聖徳太子 | 隋の制度や文化を学ぶため遣隋使を送った |
| 煬帝 | 日本の国書を受け取った隋の皇帝 |
| 国書 | 「日出づる処の天子」で始まる対等を求めた手紙 |
| 法隆寺 | 同じ607年に建てられたとされる寺 |
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