中学受験 歴史マスター > 安土桃山時代の問題
安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が天下統一を進めた約30年ほどの短い時代です。桶狭間の戦い、長篠の戦いと鉄砲、楽市・楽座、本能寺の変、太閤検地と刀狩、朝鮮出兵、そして関ヶ原の戦いが中心になります。信長と秀吉のどちらの政策かを取りちがえる誤りが非常に多いので、人物ごとに整理して覚えることが得点への近道です。
尾張国(愛知県西部)出身で、1560年の桶狭間の戦いで今川義元(いまがわよしもと)を破り、天下統一への道を歩み始めた戦国大名はだれか。
織田信長です。1560年の桶狭間の戦いで、はるかに大軍だった今川義元を奇襲で破り、一気に名を知られる存在となりました。この勝利をきっかけに勢力を広げ、足利義昭を京都から追放して室町幕府をほろぼします。
商人などが自由に行き来して商業がさかんになるように、織田信長(おだのぶなが)が廃止した、街道などで通行税を取っていた施設を何というか。
関所です。街道のあちこちで通行税を取っていた関所を廃止したことで、人や物の行き来がしやすくなり、商業がさかんになりました。城下で自由な商売を認めた楽市・楽座とあわせて、経済を活発にする政策として覚えましょう。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が政治の拠点として大阪城を築いたのは、織田信長が長く戦った一向宗の中心地で、もともと何という寺院があった場所か。
石山本願寺です。信長が10年ものあいだ争った一向宗の拠点で、大阪湾に近く川に囲まれた守りやすい土地でした。秀吉はその跡地に大阪城を築き、経済の中心地をおさえたのです。
1600年、天下分け目といわれる関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に江戸幕府を開いた人物はだれか。
徳川家康です。1600年の関ヶ原の戦いで石田三成らの西軍を破り、1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。豊臣家がほろびるのはさらに後の大阪の陣なので、関ヶ原ですぐに天下が定まったわけではない点に注意しましょう。
1588年に刀狩令を出し、一揆を防いで武士と農民の身分を分けるため、農民から武器を取り上げた人物はだれか。
豊臣秀吉です。刀狩令によって農民から武器を取り上げ、一揆を防ぐとともに武士と農民の身分をはっきり分けました。太閤検地とあわせて、武士は武士、農民は農民という兵農分離を完成させた政策です。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が晩年にもうけた子で、秀吉の死後、幼くして豊臣家のあとつぎとなり、のちに徳川氏との戦いに敗れて命を落とした人物はだれか。
豊臣秀頼です。秀吉の死後わずか6歳で家をつぎ、母の淀殿に支えられましたが、大阪冬の陣・夏の陣で徳川方に敗れて豊臣家はほろびました。石田三成は関ヶ原で敗れた家臣、徳川秀忠は家康の子なので混同しないようにしましょう。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が行った太閤検地で、税を確実に取り立てるために、田畑の面積や石高、実際に耕作する人の名前などを村ごとに記録した帳面を何というか。
検地帳です。ものさしやますを統一したうえで田畑の面積と生産量を調べ、実際に耕作する人の名前を村ごとに記録しました。これによって荘園の複雑な権利関係が整理され、年貢を納める責任者がはっきりします。
徳川家康が、豊臣家を守ろうとする大名たちの軍を破って天下の実権をにぎるきっかけとなった、天下分け目とよばれる関ヶ原(せきがはら)の戦いが起こったのは何年か。
1600年です。「関ヶ原は一路(1600)まっしぐら」のように語呂で覚えると、1603年の幕府開設との3年の差もあわせて記憶できます。1582年は本能寺の変、1592年は文禄の役が始まった年です。
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