中学受験 歴史マスター > 旧石器時代の問題
旧石器時代は、日本列島がまだ大陸と陸続きだったころのくらしを学ぶ単元です。土器も農業もまだなく、人々はナウマンゾウなどの大型動物を追いかけて移動しながら生活していました。入試では、岩宿遺跡と相沢忠洋、打製石器と磨製石器のちがい、港川人といった用語がくり返し問われます。次の時代の縄文時代と混ざりやすいので、「土器があるかないか」「移動か定住か」で区別して覚えるのがコツです。
戦後まもなく、相沢忠洋(あいざわただひろ)が群馬県の関東ローム層から打製石器を見つけ、日本にも旧石器時代があったことを初めて明らかにした遺跡をという。
群馬県の岩宿遺跡です。相沢忠洋が関東ローム層の中から打製石器を見つけたことで、それまで日本には土器を使う縄文時代より前の文化はないと考えられていた常識がくつがえされました。登呂遺跡は弥生時代、三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡なので混同しないようにしましょう。
旧石器時代の人々が、石を打ち欠いてするどい刃をつくり、動物の肉を切りさくのに使った、表面を磨いていない石器を何というか。
打製石器です。石を打ち欠いて刃をつくるだけの、最も古いタイプの石器で、旧石器時代の代名詞になっています。表面を磨いてなめらかに仕上げた磨製石器は次の縄文時代から使われるようになるので、「磨いていない=旧石器」と押さえておくと確実です。
旧石器時代の人々が狩りの対象にしていた、長野県の野尻湖で化石が見つかった大型のゾウのなかまを何というか。
ナウマンゾウです。長野県の野尻湖からは、ナウマンゾウの化石とオオツノジカの角が大量に見つかっており、ここが狩りの場だったと考えられています。マンモスは同じ大型のゾウのなかまですが、こちらは北から北海道へわたってきた動物なので、見つかる場所がちがいます。
旧石器時代の人々は、たて穴住居のような決まった家にずっと住むのではなく、どのようにくらしていたか。
えものや食べ物を求めて移動しながらくらしていました。まだ農業が始まっておらず、その場所の食べ物を取りつくすと次の場所へ移る必要があったためです。地面を掘り下げたたて穴住居に定住するようになるのは、食べ物が安定して手に入るようになった縄文時代からです。
旧石器時代、ナウマンゾウなどの大型動物が大陸から歩いて日本へやって来ることができたのはなぜか。
海面が今より低く、日本列島が大陸と陸続きだったからです。旧石器時代は氷期にあたり、海の水が氷となって陸にたくわえられていたため、海面が今より100メートル以上も低くなっていました。そのため動物も人も、歩いて大陸から日本へやって来ることができたのです。
沖縄県で発見された、今から約2万年前の旧石器時代に日本列島でくらしていた人の骨で、ほぼ全身が残っていたものは何とよばれているか。
港川人です。沖縄県の港川で見つかった約2万年前の人骨で、ほぼ全身の骨がそろって残っていた点が非常にめずらしく、当時の日本人の姿を知る手がかりになっています。沖縄は石灰岩の地層が多く骨が溶けずに残りやすいため、古い人骨の発見が集中しています。
旧石器時代、北の大陸から北海道にわたってきた、長い毛におおわれた大型のゾウのなかまを何というか。
マンモスです。長い毛でおおわれた寒さに強いゾウのなかまで、北の大陸から陸続きだった北海道へわたってきました。本州で見つかるナウマンゾウとは分布が分かれているので、「北海道=マンモス、本州=ナウマンゾウ」と対にして覚えると混同しません。
旧石器時代の人々が、打製石器を木の棒の先に取り付けて作り、大型動物の狩りに使った道具は何か。
やりです。打製石器をそのまま手に持つのではなく、木の棒の先に取り付けることで、はなれた場所から大きな動物をしとめられるようになりました。すばやく動くシカやイノシシをねらう弓矢が使われるのは、動物の種類が変わった縄文時代からです。
このページの例題8問のほか、旧石器時代だけで残り9問を収録しています。時代を選んで挑戦できます。