中学受験 歴史マスター > 奈良時代の問題
奈良時代は、平城京に都が置かれ、律令にもとづく政治が全国におよんだ時代です。班田収授法と租・調・庸、聖武天皇と大仏、鑑真、正倉院、墾田永年私財法、『古事記』『日本書紀』『万葉集』が中心になります。とくに「なぜ大仏をつくったのか」「なぜ墾田永年私財法を出したのか」といった理由を問う出題が多いので、政策の背景にある社会の混乱とセットで覚えるのがポイントです。
708年、武蔵国(今の東京・埼玉あたり)でとれた銅が朝廷に献上されたことをきっかけにつくられた貨幣をという。
和同開珎です。武蔵国秩父から自然の銅が献上されたことを喜んだ朝廷が、元号を和銅に改めるとともに発行しました。ただし都の周辺以外では布や米による交換が続き、全国に広く行きわたることはありませんでした。
元明(げんめい)天皇が710年に藤原京から移した、唐の都の長安を手本に、道路が碁盤(ごばん)の目のように整えられた都をという。
平城京です。唐の都の長安を手本に、道路が碁盤の目のように区切られた条坊制でつくられました。北に天皇の住む平城宮を置き、そこから南へ朱雀大路がのびる形は、その後の平安京にも受けつがれます。
聖武(しょうむ)天皇が国分寺の総本山(中心となる寺)として都の平城京に建て、大仏を置いた寺院を何というか。
東大寺です。聖武天皇は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせ、その総本山として都に東大寺を建てて大仏を置きました。あいつぐ伝染病や貴族の反乱で乱れた世の中を、仏教の力で安定させようとしたのがねらいです。
光明(こうみょう)皇后が納めた聖武(しょうむ)天皇の遺品や、シルクロードを通って大陸から伝わった宝物が納められている、東大寺の建物を何というか。
正倉院です。校倉造という三角の木材を組み上げた建て方で、湿気を防ぎながら1200年以上も宝物を守ってきました。ペルシャ由来のガラス器や西アジア風の楽器が納められており、シルクロードの終着点とも呼ばれます。
奈良時代、外国からの侵攻(しんこう)に備えて九州北部の守りを固めるため、おもに東国の農民が3年交代で送られてつとめた兵士を何というか。
防人です。白村江の戦いで唐と新羅に敗れたことをきっかけに、九州北部の守りを固めるために置かれました。おもに東国の農民が3年交代でつとめ、往復の旅費も自分もちだったため負担が非常に重く、『万葉集』には防人の歌として家族との別れを詠んだ歌が残っています。
律令制のもとで6年ごとにつくられ、これをもとに口分田(くぶんでん)が与えられた、人々の名前や年齢などを国が記録した帳簿を何というか。
戸籍です。6年ごとに作成され、これをもとに6歳以上の人へ口分田が与えられました。人口を正確に把握することが税を取り立てる前提だったため、律令国家にとって戸籍づくりは政治の根幹でした。
神話や昔からの言い伝えをすべて暗記していて、その内容が『古事記』のもとになったと伝えられる人物はだれか。
稗田阿礼です。記憶していた神話や伝承を語り、それを太安万侶が文章にまとめたものが『古事記』です。『日本書紀』は舎人親王が中心となって編さんし、中国にならって漢文で書かれた正式な歴史書という点がちがいます。
人口が増えて口分田(くぶんでん)が不足したため、朝廷は新しく開墾した土地を永久に私有してよいと認めた。この墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)が定められたのは何年か。
743年です。人口が増えて口分田が足りなくなり、三世一身法で3代限りの私有を認めても開墾が進まなかったため、ついに永久の私有を認めました。これによって貴族や寺社が土地を集め、のちの荘園が生まれるきっかけとなり、公地公民の原則はくずれていきます。
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