中学受験 歴史マスター > 弥生時代の問題
弥生時代は、大陸から伝わった稲作によって人々のくらしが根本から変わった時代です。米をたくわえられるようになったことで貧富の差と身分が生まれ、水や土地をめぐる争いから小さな国々ができていきました。奴国の金印、邪馬台国と卑弥呼、登呂遺跡や吉野ヶ里遺跡、高床倉庫や石包丁が定番の出題です。中国の歴史書に日本が登場し始めるのもこの時代からです。
縄文時代の終わりに大陸から九州北部へ伝わり、弥生時代に全国へ広まって人々のくらしを大きく変えた、水田をつくって米を育てる農業をという。
稲作です。縄文時代の終わりごろに大陸から九州北部へ伝わり、弥生時代に東日本まで広まりました。米は長く保存でき、たくわえた量の差がそのまま力の差になったため、身分の差や国どうしの争いが生まれる出発点になりました。
弥生時代に大陸から伝わった青銅器は、おもに祭りの宝物として使われた。そのうち、円形で裏面に文様がほどこされたものを何というか。
銅鏡です。青銅器は鉄器にくらべてやわらかく実用の道具には向かないため、おもに祭りの宝物や権威を示す品として使われました。同じ青銅器でも、つりがね形のものが銅鐸、剣の形のものが銅剣、ほこの形のものが銅矛と、形で区別して覚えましょう。
福岡県の志賀島で、「漢委奴国王」と刻まれた金印が発見された。57年にこの金印を後漢の皇帝から授かったとされる、倭(当時の日本のよび名)の国はどこか。
奴国です。福岡県の志賀島で見つかった金印には「漢委奴国王」と刻まれており、57年に奴国の王が後漢の皇帝から授かったものと考えられています。中国の皇帝に認めてもらうことで、まわりの国より上に立とうとしたのです。
57年に後漢(当時の中国の王朝)に使者を送り、皇帝から金印を与えられた、今の福岡市のあたりにあったとされる九州北部の国をという。
奴国です。今の福岡市のあたりにあったとされ、朝鮮半島に近い九州北部は大陸との交流の窓口でした。同じ倭の国でも、邪馬台国が中国に使いを送るのは3世紀のことなので、奴国の57年とは200年近い開きがあります。
女王卑弥呼(ひみこ)が、まじないの力を使って30ほどのくにを従え、邪馬台国を治めていたと中国の歴史書に記されているのは何世紀ごろか。
3世紀ごろです。中国の歴史書『魏志』倭人伝に、卑弥呼がまじないの力で30ほどのくにを従えていたことや、魏に使いを送って「親魏倭王」の称号と銅鏡を授かったことが記されています。邪馬台国がどこにあったかは、九州説と近畿説があり今も決着していません。
弥生時代に青銅器とともに大陸から伝わり、おもに武器や工具など実際の作業に使う道具として使われた金属器を何というか。
鉄器です。青銅器よりかたくてじょうぶなため、農具や工具、武器といった実際に使う道具に用いられました。「青銅器=祭りの道具、鉄器=実用の道具」と役割を分けて覚えるのが、この単元でいちばん問われるポイントです。
弥生土器という名前は、この土器が最初に発見された東京都の地名にちなんでつけられた。その地名はどこか。
弥生町です。今の東京都文京区弥生にあたる場所で最初に発見されたため、この土器と時代の名前になりました。縄文土器が「縄目の文様」という特徴から名づけられたのに対し、弥生土器は発見された地名からついた名前だという点がちがいます。
稲作や金属器は、中国大陸からを通って九州北部に伝わったと考えられている。
朝鮮半島です。中国大陸で生まれた稲作や金属器の技術は、朝鮮半島を経由して海のせまい九州北部へ伝わりました。だからこそ九州北部が最も早く発展し、奴国のような有力な国がこの地域に生まれたのです。
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