中学受験 歴史マスター > 江戸時代の問題
江戸時代は約260年続き、収録問題数も最も多い単元です。幕藩体制と参勤交代、鎖国と出島、三大改革、元禄文化と化政文化、蘭学と国学、そして幕末のペリー来航から大政奉還までが出題の中心になります。享保・寛政・天保の三大改革は、行った人物と内容の組み合わせが必ず問われるので、徳川吉宗・松平定信・水野忠邦の三人を軸に整理しておきましょう。
三河国(今の愛知県東部)出身の戦国大名で、関ヶ原の戦いに勝利して天下の実権をにぎり、1603年に朝廷から征夷大将軍(武士の最高の地位)に任命された人物はだれか。
徳川家康です。関ヶ原の戦いに勝って実権をにぎり、1603年に征夷大将軍となって江戸に幕府を開きました。わずか2年で子の秀忠に将軍職をゆずり、将軍の地位が徳川家に代々受けつがれることを大名たちに示しています。
鎖国のもとでヨーロッパの国のうちオランダとだけ貿易が続けられた。そのオランダの商館が移された、役人が出入りをきびしく見張った、長崎の港の扇形(おうぎがた)の埋め立て地を何というか。
出島です。もともとポルトガル人を住まわせるためにつくられた扇形の埋め立て地で、島原・天草一揆のあとポルトガル船の来航が禁止されると、平戸からオランダ商館が移されました。中国船の相手をした唐人屋敷とは別の場所なので区別しましょう。
徳川吉宗(とくがわよしむね)が江戸町奉行の大岡忠相(おおおかただすけ)らに作らせた、公正な裁判の基準となる法令をという。
公事方御定書です。徳川吉宗が享保の改革の一つとして定め、それまで担当者によってばらつきのあった裁判の基準を統一しました。庶民の意見を聞く目安箱、大名に米を出させるかわりに参勤交代をゆるめる上げ米の制もあわせて覚えましょう。
江戸時代には教育がさかんになり、庶民(一般の人々)の子どもたちが読み・書き・そろばんを学ぶ場が全国各地に開かれた。この教育の場を何というか。
寺子屋です。町人や農民の子どもが読み・書き・そろばんを学ぶ場で、全国に広く開かれました。武士の子が学ぶ藩校とは対象がちがい、この寺子屋の広がりが、当時の日本の識字率を世界的にも高い水準に押し上げています。
幕末に高杉晋作(たかすぎしんさく)や伊藤博文(いとうひろぶみ)など多くの人材を育てた吉田松陰(よしだしょういん)が学問を教えた、萩(今の山口県)にあった私塾(個人が開いた学校)を何というか。
松下村塾です。吉田松陰が萩で教え、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など明治維新で活躍する人材を数多く育てました。適塾は大阪の緒方洪庵、鳴滝塾は長崎のシーボルトが開いた塾なので、場所と人物をセットで覚えると迷いません。
1839年、幕府が外国船を打ち払う方針を書物で批判したためにきびしく処罰された、長崎で医学や蘭学(オランダ語で西洋の学問を学ぶこと)を学んだ医師はだれか。
高野長英です。渡辺崋山とともに、外国船を追い返す異国船打払令を書物で批判したため、蛮社の獄できびしく処罰されました。杉田玄白と前野良沢は『解体新書』を訳した人物で、時代も活動も別なので区別しましょう。
江戸時代、幕府や藩は年貢を増やすため、荒れ地や沼地を切り開いて新しい田をつくることに力を入れた。この取り組みをという。
新田開発です。年貢は米で納められたため、田を増やすことが幕府や藩の収入を増やす最も確実な方法でした。この結果、江戸時代を通じて耕地面積はおよそ2倍になり、人口も大きく増えています。
江戸時代に町人の間で流行した、五・七・五の十七音で、季語のきまりがなく、世の中のできごとや政治を皮肉ってよんだ短い詩を何というか。
川柳です。五・七・五という形は俳諧と同じですが、季語のきまりがなく、世の中や政治への皮肉をこめて詠むのが特徴です。同じように皮肉をこめた五・七・五・七・七の短歌は狂歌とよばれ、こちらもあわせて出題されます。
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