中学受験 歴史マスター > 鎌倉時代の問題
鎌倉時代は、武士が初めて政治の中心に立った時代です。源頼朝の幕府開設、御恩と奉公による御家人との結びつき、守護と地頭、北条氏の執権政治、承久の乱、御成敗式目、元寇、鎌倉新仏教、金剛力士像と『新古今和歌集』が中心になります。とくに元寇のあとに御家人が不満を強めて幕府がおとろえるという流れは、理由を問う形で頻出します。
壇ノ浦の戦いで平氏がほろんだ後、1192年に征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開いた人物はだれか。
源頼朝です。壇ノ浦の戦いで平氏をほろぼしたあと、1192年に征夷大将軍に任じられました。ただし守護と地頭を置くことを認めさせた1185年を幕府の成立とする考え方もあり、近年の教科書では両方の年が示されています。
北条時政(ほうじょうときまさ)が初代として就き、その後も北条氏が代々独占した、鎌倉幕府で将軍を助けて政治を行った役職を何というか。
執権です。源氏の将軍が3代で絶えたあと、頼朝の妻である北条政子の一族が代々この地位を独占し、将軍にかわって政治を動かしました。室町幕府の同じような役職は管領なので、幕府ごとに区別して覚えましょう。
チンギス・ハンの孫で、国号を元と定めて日本にも従うよう求め、文永の役や弘安の役で日本に軍を送ったモンゴルの皇帝はだれか。
フビライ・ハンです。チンギス・ハンの孫にあたり、中国を支配して国号を元と定め、日本にも服属を求めました。北条時宗がこれを断ったため、1274年の文永の役と1281年の弘安の役という二度の襲来が起こります。
念仏(「南無阿弥陀仏」と唱えること)を唱えれば、だれでも極楽浄土に生まれ変われると説いて、浄土宗を開いた人物はだれか。
法然です。難しい修行や学問ではなく、ただ念仏を唱えるだけでよいと説いたため、武士や庶民にも広く受け入れられました。弟子の親鸞は浄土真宗、一遍は時宗、日蓮は題目を唱える日蓮宗を開いており、開祖と宗派の組み合わせが定番の出題です。
東大寺南大門の左右に安置されている、筋肉が盛り上がった力強い姿で武士の時代の気風をあらわした、鎌倉時代の文化を代表する仁王像を何というか。
金剛力士像です。運慶や快慶らによってつくられ、盛り上がった筋肉と激しい表情に、貴族の世から武士の世へ移った時代の気風がよく表れています。奈良時代の阿修羅像のような繊細な仏像と見くらべると、ちがいがはっきりします。
源頼朝が朝廷に認めさせて国ごとに置き、軍事や警察の仕事を行わせた、荘園や公領ごとに置かれた地頭とは区別される役人を何というか。
守護です。国ごとに置かれて軍事と警察の仕事を担当しました。荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てと土地の管理を行ったのが地頭です。「守護=国ごと、地頭=荘園ごと」と対にして覚えるのが確実です。
3代執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)が新しく置いた、有力な御家人らが集まり、話し合いによって政治や裁判を進めるしくみをという。
評定衆です。北条泰時が執権の独断ではなく有力御家人の話し合いで政治や裁判を進めるために設けました。同じ泰時が定めた御成敗式目とあわせて、武士による公正な政治のしくみを整えた人物として押さえておきましょう。
元の大軍が九州北部にせめてきて、集団でおしよせる戦い方と火薬を使った武器に日本の武士が苦しめられた文永の役が起こったのは何年か。
1274年です。元軍は集団戦法と「てつはう」という火薬兵器を使い、一騎打ちを基本としていた日本の武士を苦しめました。二度目の弘安の役は1281年で、どちらも暴風雨に助けられた面がありますが、防衛戦のため新しい領地が得られず、御家人への恩賞が不足したことが幕府をおとろえさせました。
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