中学受験 歴史マスター > 縄文時代の問題
縄文時代は、気候が暖かくなって食べ物が安定して手に入るようになり、人々がたて穴住居に定住し始めた時代です。縄目の文様がついた縄文土器、貝塚、土偶、三内丸山遺跡、黒曜石の交易が定番の出題です。中学入試では「なぜ貧富の差がなかったのか」「なぜ定住できるようになったのか」といった理由を問う形もよく出ます。次の弥生時代と比べて、米づくりがまだ始まっていない点が最大のちがいです。
縄文時代に使われるようになった、石の表面を磨いて形をととのえた石器で、木を切りたおすときなどに使われたものを何というか。
磨製石器です。石の表面を磨いてなめらかに仕上げた石器で、刃がじょうぶになり、木を切りたおすといった重い作業にも使えるようになりました。打ち欠いただけの打製石器は旧石器時代から使われているので、「磨いてある=縄文時代から」と区別しましょう。
明治時代に来日したアメリカ人の動物学者エドワード=モースが、汽車の窓から見つけて発掘調査を行った、東京にある縄文時代の貝塚を何というか。
大森貝塚です。アメリカ人動物学者のモースが、横浜から新橋へ向かう汽車の窓から貝がらの層を見つけたことがきっかけで発掘され、日本の考古学の出発点となりました。貝塚は当時のごみ捨て場にあたり、食べ残しや道具から人々のくらしぶりがわかる貴重な手がかりです。
縄文時代の大規模な集落跡で、大型の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)のあとや、クリを育てていたと考えられるあとが見つかった三内丸山遺跡があるのは何県か。
青森県です。三内丸山遺跡では大型の掘立柱建物のあとや、クリの木を管理して育てていた形跡が見つかり、縄文時代の人々が想像以上に大きな集落を長期間いとなんでいたことがわかりました。この発見によって、縄文時代は貧しく不安定だという古いイメージが大きく見直されました。
縄文時代の人々が住んだ、地面を掘り下げて床をつくり、柱を立てて屋根をかけた住まいをという。
たて穴住居です。地面を50センチほど掘り下げて床をつくり、柱を立てて屋根をかけた住まいで、地面の下は温度が変わりにくいため夏はすずしく冬は暖かく過ごせます。同じ場所に住み続けられるようになったこと自体が、食べ物が安定して手に入るようになった証拠です。
縄文時代になると、シカやイノシシなどすばやく動く動物をとらえるために、が使われるようになった。
弓矢です。気候が暖かくなって大型動物が減り、かわりにシカやイノシシのようなすばやく動く中型の動物が増えたため、遠くからねらえる弓矢が必要になりました。道具の変化は、動物の変化つまり気候の変化とセットで理解すると流れがつながります。
矢じりやナイフの材料になるガラスのような黒い石で、産地が限られているため、遠くはなれたムラまで運ばれ、縄文時代に交易(物のやりとり)があった証拠とされるものは何か。
黒曜石です。火山からできるガラス質の石で、割ると鋭い刃になるため矢じりやナイフの材料として重宝されました。産地が長野県の和田峠や伊豆諸島の神津島などに限られているのに遠くの遺跡から出土するため、ムラどうしで物を運んでやりとりしていた証拠になります。
明治時代にアメリカ人の動物学者エドワード=モースが、汽車の窓から貝がらの層を見つけて発掘調査を行った大森貝塚があるのは、どの都道府県か。
東京都です。大森貝塚は今の品川区から大田区にまたがる場所にあり、当時はこのあたりまで海岸線が入りこんでいました。貝塚の位置から、縄文時代の海面が今より高く内陸まで海だったこと(縄文海進)も読み取れます。
人々が狩りや漁、木の実の採集などで食べ物を手に入れてくらしていた、縄文時代のムラの様子は、どのようなものだったか。
人々の間に身分や貧富の差がほとんどありませんでした。狩りや採集で得た食べ物は長く保存できず、たくわえて富にすることが難しかったためです。米づくりが始まって収穫をたくわえられるようになると、持つ者と持たざる者の差が生まれ、次の弥生時代には争いや身分の差が現れます。
このページの例題8問のほか、縄文時代だけで残り10問を収録しています。時代を選んで挑戦できます。